音楽史を学ぼう

今日は、音楽史のおさらいをする。

音楽史はあまり重要視されていないが、音楽を楽しむ文化人として、一応の知識は身につけておくべきである。

 

近代音楽はバロック音楽の巨匠J・S・バッハとともに始まる。バッハは音楽の父であり、ヨハン・ハインリッヒ・バッハの叔父であった。彼はれっきとした妻との間にエマニエルをはじめ、多数の子供がいたのに、ヘンデルとの間に音楽をもうけたのである。その結果ヘンデルは音楽の母とよばれ、音楽とエマニエルは異母兄弟となった。

 

古典期に入ると、交響曲の父ハイドンが登場する。彼がだれの叔父であったか、交響曲の母親はだれなのか、不明である。

 

同じころモーツァルトが登場し、天才の名をほしいままにした。「モーツァルトさえいなかったら自分が天才と呼ばれていたのに」とくやしがっているのは私一人ではあるまい。

 

そのころ楽聖ベートーヴェンが登場し、古典期の最後を飾った。古典期は、「古典期」である以上、いつまでも続くわけにはいかなかったのだ。

 

ベートーヴェンは苦悩のひとだった。何に苦悩したのか明らかでないが、金と女に決まっていると思われる。

苦悩しつつも、彼は第三(「英雄」)第五(「運命」)第六(田園)第九(「忘年」)といった交響曲を作曲した。

 

この時期、ピアノが発明されたことは特筆に価する。ピアノはもと、ピアノフォルテといわれ、その楽器からフォルテを切り離して作られた(フォルテというのは、いまでもときどき路地などで見かけるあのフォルテである)。

ピアノの発明が与えた影響ははかりしれない。もしピアノが発明されなかったら、「ピアノ協奏曲」とか「ピアノ大安売り」「ピアノ売ってちょうだい」などは成り立ちえなかったであろう。

 

古典派につづいてロマン派の音楽が登場した。古典派の後に何か登場しないと音楽史が途絶えてしまうからである。

 

その結果、この時期に生まれた音楽家はいやおうなくロマン派に組み入れられた。その一人シューベルトは歌曲の王と呼ばれた。なぜ歌曲の父とか叔父でないのか、定かではない。孤独な生涯を送ったため、親戚関係が考えにくいのかもしれない。

ショパンもこの時期に登場し、ピアノの詩人といわれた。のちにリチャード・クレイダーマンがピアノの貴公子になったものの、ピアノの王や父はまだ出ていない。これは、「ピアノの父」というとピアノの発明者を指すように受け取られ、「ピアノの王」というとピアノを売って富豪になった人であるかのような印象をあたえるからであろう。

続いてブラームス、チャイコフスキー、ノルディックスキー、ビーフ・ストロガノフらが登場してロマン派の音楽を終了させた。以後、さまざまな運動が起こり、人々は音楽よりも運動に走って身体の強化に努めた。

 

その後クラシック音楽がどうなったか、手元の中学校の教科書には何もかいていないため、詳しいことは分からないが、アメリカではアフリカ音楽と融合してジャズを生み、アフリカでは、ジャズからクラシックが分離してアフリカ音楽を生んだ。

日本では、作曲家の故郷の映像と融合し「名曲アルバム」を生んだ。

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